連載 Vol.1 仕事熱心な父親のもとで、お花・洋服が大好きな女の子が生まれる

1、仕事熱心な父親のもとで、お花・洋服が大好きな女の子が生まれる。

↓次回配信

2、病床の父、自分ができることは何か?姉としての自覚

3、人生の転機、英語との出会いと、人の表裏を見た中学生時代

4、アメリカに行けば、英語のいい先生になれると思い込む。

5、アメリカで得た自分の考えを主張するスタンス。日本では違和感。

6、市の仕事でふたたびアメリカに行くチャンス。仕事内容は…

 

連載 Vol.1 仕事熱心な父親のもとで、お花・洋服が大好きな女の子が生まれる

--川嶋治子さんって仕事のイメージはあるのですが、パーソナルなことがあまり表に出てないイメージ。お人柄も含めてお聞きしたいです!

川嶋:もちろん!どうぞ。

ーーもともとお生まれはどちらで?

川嶋:生まれは静岡県の清水市です。

--清水市。静岡と聞くと、一般的にはお茶っていうイメージですけど。

川嶋:清水にあるのは、お茶と、イチゴと、あと『ちびまる子ちゃん』と。

--そうなんですね。『ちびまる子ちゃん』、作者の方が。

川嶋:はい、作者のさくらももこさんが清水市のご出身なんです。『ちびまる子ちゃん』って、昔の昭和の清水の町がそのまま描かれてるんですね。


(さくらももこさんが書かれた「富士山とみかん畑」の原画。エスパルスドリームプラザ内ちびまる子ちゃんランド所蔵。)


(清水に帰省した際の一コマ。清水を描き続けてくださった、さくらももこさんへの敬意を込めて、ちびまる子ちゃんランドへ。嬉しくて写真撮りまくる川嶋・笑)

川嶋:あと、富士山が良く見えて、お魚がおいしい所です。

--お魚もおいしいんですか。

川嶋:すごくおいしいです。だから、東京に出て来てから、お魚が食べられなくて、ずっと困ってました。おいしいお刺し身じゃないと食べられないし、焼き魚とかも、全然、味が違うんですよ。

--おうちでも結構お魚は食べてたんですね? 実家のときも。

川嶋:うん、食べてました。毎日、野菜と魚とお肉が出てくる家だったので。母がすごく料理するんですよ。

--へえ。おかずの品数が多いですね。

川嶋:毎日、食後にフルーツもてんこ盛りで出てくる、すごく食事が豊かな家だったんです。


(世界遺産 三保の松原から望む富士山。砂浜・海・富士山が揃うのは日本でここだけ。帰省する度に訪れる場所。)

--お母さんも、お父さんも、静岡ですか。

川嶋:2人とも静岡です。

--静岡で、おかずがいろいろ出てくるのは、それはお母さんの方針?

川嶋:母の方針ですね。

--料理が得意で?

川嶋:料理、得意ですね。みんなにそのとき旬なものとか、レシピを見て、おいしそうだと思ったものとか、食べておいしかったものを再現して、食べさせてあげたいんですよ、うちの母は。ホスピタリティがだだ漏れみたいな人なので。(笑)

--ホスピタリティ、プラス、料理の才能というか、勘も多分、よかった方なんですよね。

川嶋:そうですね。センスいいですね。創作料理の味付けのセンスもいいし。お料理を盛り付けたりするのも小学校の頃から一緒にやってたんですけれど、彩りが悪いと、やり直し。「ハルコ、これ色がかわいくないから、ここに赤、入れたいから、トマト刻んで」みたいな、そういうお母さん。

--小学生のハルコさんにも、料理っていうのはこういうふうに楽しく彩りもみたいな?

川嶋:そうですね。母がいつも言ってたので。器もこだわるから、どの器にどうやって盛り付けると、全体的なビジュアルがきれいに盛りつけられるか、みたいなのを母と一緒にやってましたね。それもセンスがいいんですよ。色使いとか。よく言ってたのが、「お料理って、味だけじゃないから、目でも楽しんで、香りも楽しむから、自分でよそったときに、かわいく盛れてるかなって見てごらん」って言われてたんですよ。

--すごい。じゃあ、自然と料理でおかずが肉、魚、野菜とかがあったりとか、フルーツがあったりとか、盛り付けに工夫があったりっていうのは、お母さんのおかげで?

川嶋:母のおかげですね。

--子どもの頃から川嶋さんも、そういう、自然に、教育という言葉もわからないぐらいのときから分かってくるというか、当たり前に触れてきたこと?

川嶋:そうですね。

--食べるのは好き?

川嶋:大好き!おいしいもの大好きだし、食べることと幸せって、直結してるから、大好きなんです。すごく素敵なレストランとか、素敵な料理人の方のお料理を頂いたりすると、芸術ですよね。

--そうですね。トータルのね。

川嶋:すごくインスピレーションをもらうし、大好きです。

--お母さんの影響は、まず料理っていう点が、今、大きいっていうのをお聞きして。お父さんは、どういう方ですか。

川嶋:父は、起業して、家を作る仕事をしてたんです。建築会社をやるんですが、30半ばで大病をして、ずっとそこから先、仕事も生涯現役だったんだけど、闘病生活もずっとしているみたいな生活で。母はアパレルにもともといたので、色彩感覚やファッションも大好きな人で、それが食卓に表れてたり。家中、お花もいっぱいいけてあって、玄関にもすごく大きな壺に、咲き乱れるようにお花が生けてあって、ユリの季節には家中ユリの香りがして。一個一個の部屋に、全部お花を飾ってあるみたいな家だったので。

--素敵ですね。


(母が送ってくれた大輪のユリ)

川嶋:季節感を食事や、お花、香り、色彩で感じたりみたいなことも、母からで。アパレルにいた母と、建築業界で起業して、自分も現場に出るし、経営もしてる、そんな父だったんですけど、父はすごく、昔ながらの無骨な、想いがあってもそれを言葉にするのは苦手な人でしたね。

--真面目だけど、そんなに器用なタイプじゃない?

川嶋:全然、器用じゃないです。仕事はすごくこだわりがあるから、若くして、最初、ぐっと成功して。その後30代半ばで大病をして、そこからずっと難病の指定を受けて、闘病生活に入るんです。働き盛りのときに難病が分かって、その後、私が小学校、上がる前くらいから入院していて。もう再起不能っていわれてた時代があって。なので、母のてんこ盛り、いろんな旬のもの食べさせたいっていうのは、お料理好きだったりセンスがあったりという感性が豊かな人なのでっていうところプラス、多分、健康っていう。父や家族への想いがあったんだろうなと。

--体に対して、食事が大事だと考えたんですね。お母さんが。

川嶋:そういうのも、すごくあったんだと思います。子どもの頃から「好き嫌いしないでなんでも食べなさい」って言われて育ちました。健康、健康、言われたわけじゃなくて、「なんでもおいしく食べられる女の子のほうがかわいいからね」みたいなこと言われながら育ててくれたことは母らしいなと思います。母はすごく食を大事にしていて。父のためもあるし、私たちのためもあって。父がもともとすごく運動神経もよくて、体に自信がある人だったんですよね。それが、まさかの働き盛りで大病してということもあって、子どもにもそういうことがないようにという思いが、すごくあったんだと思うんです。お料理ができあがると、小学生みたいな満面の笑みで、「ハルコ、見て、このお料理かわいくない?」とか、「食べてみて。おいしくない?」みたいな、そういう母でした。天真爛漫な、少女のような母でしたね。

--そうなんですね。お父さまは、川嶋さんがお生まれになったときには、もう起業してたんですか。

川嶋:そうだと思います。若いときに起業したっていう話を大人になってから聞いてるので、私が生まれたときには起業してたはずです。

--しかも真面目で、結構、不器用なお父さんが、仕事に熱心だったっていうのは、子ども心に記憶が、川嶋さんは、ある?

川嶋:あります。めちゃくちゃ仕事熱心でしたね。自分の考えてる世界観とか芯がある人だったので、言葉で上手に表現できないんだけれども、伝わってくる人だったんですよね。仕事に向き合う姿勢とか、自分が理想とする家作りが人の人生にどう影響を与えるかみたいなものも、彼の中で持ってるものがあるんですけど、そういうのがすごく、バシバシ伝わってくる人だったので。不器用で口数が多い人ではなかったですが、背中から生き様が伝わってくる感じの父でした。

--なるほど。真面目に仕事に打ち込んでるけど、別にそれをべらべら説明する感じの方ではないと。仕事に真面目なお父さんと、感性豊かで食事なりお部屋を彩ったりするお母さん。もしかして、お母さんは、お父さんが大病されてたから子供たちに気を使ってた部分もあって、それを見せないようにしていたのかなと。

川嶋:きっとそうだと思います。

--川嶋さんが小学校、入るぐらいまでの間って、どんなお子さんだったんですか。

川嶋:小学校、入るまでは、すごい、ぽーっとした、のんびりした子でした。

--ええ!そうなんですね。ガツガツしてない?じゃあ、友達とおもちゃの取り合いで喧嘩して、わあわあやるタイプでは、全然ない。ぽーっとしてる?

川嶋:使いたいんだったらどうぞみたいな、そういう感じの。ぽやっとした子でしたね。

--ぽやっとした平和主義者というか。

川嶋:ぽやっとしてて、ときどき、ポエム的なことを言う子どもだったらしいです。台詞を忘れちゃったんですけど、ポエムちっくなことを、ぽつり、ぽつり、言うらしいんです。その表現がすごく母にとっては哲学的に感じたらしくて。

--子ども特有の天才性ですよね。

川嶋:言葉のセンスがある感じだったそうで。母は基本的に、自分の子どもが大好きだから「お父さんとお母さんの間から生まれた子で、悪い子が生まれるはずがない」っていうのが口癖だったんです。

--信じてたんですね。親がね。信じてくれてたんですね。

川嶋:そうですね。なので、うちの母いわくですよ。「ハルコは言葉のセンスとか感性がすごくいいから、この子は天才に違いないと思って育ててた」って言っていました。

--川嶋さんは、例えば幼稚園から小学校、入るぐらいのときに、何が好きだったとかあります? 例えば、絵本が好きなのか。今、聞いてると、絵本が好きなのか、それか、例えば踊りが好きなのか。

川嶋:お花がとにかく大好きで。

--お花が好き?

川嶋:お花が大好きで、あと、絵本も好きでしたね。言葉をちゃんと文章でしゃべれるようになる前に、母が毎日、読み聞かせをしてくれて。子どもの頃、寝るときに、いっぱい絵本を持っていって、母に読んでもらうんですけど。2歳くらいの頃まだ文字が読めないのに、当時『シンデレラ』が好きだったらしくて、ページをめくるタイミングで分かるんですって。母が読んでいくと、私がページをめくるらしいんですよ。音で暗記しちゃってたらしいんです。

--流れを。ストーリーというか、絵というか。

川嶋:だったんですって。そのままずっと絵本が好きで、そこから小学校の間は、ずっと本が好きでした。


(小学校の頃、大好きだった本。「せかいのひとびと」)

--本は好きだったんですね。

川嶋:はい。本が好きで、ストーリーが好き。だから、お話の世界観に没入して楽しむみたいな、そんなタイプの子でしたね。あと、母がファッションがすごく好きな人だったので、お洋服も大好きでした。子どもの頃から。

--なるほど。花、絵本、ストーリー。そんな感じで、お洋服とか好きな感じ?

川嶋:お洋服、大好きでしたね。

 

2、病床の父、自分ができることは何か?姉としての自覚 に続く

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